Everest〔英語〕エベレスト(イーブレスト)
- イングランド、アイルランド:サーネーム
由来
エベレスト姓の由来は、ノルマン・コンクエストにある。
フランス北部の街エヴルー(Évreux)は9世紀から10世紀にノルマン人の襲撃を受け、占拠されてしまう。その後1066年のノルマン・コンクエストによりノルマン人がブリテン島に進出した際に、ノルマン人の一部にエブルーの街の名前を姓とした一族がおり、D’Evreuxと名乗った。※なおÉvreux自体は、平野の真ん中を意味すると解される。
このD’Evreuxの派生形のひとつがEverestであり、ほかにEverist、Everix、Everiss、Evreuxなどがあり、EvreuxからさらにDeveraux、Devereu、Deveroseなどへ派生した。
著名人
サー・ジョージ・イーブレスト(Sir George Everest)
現在エベレストの名前は、世界最高峰であるチョモランマ(エベレスト)山の英語名称として名高い。英語圏(あるいはその影響下の地域)ではエベレストの名で呼ばれるが、この名前はイギリス人サー・ジョージ・イーブレスト(Sir George Everest)のサーネームにちなむ。
ジョージ・イーブレストはウェールズ生まれの探検家・地理学者。1806年にウィリアム・ラムトンによって始められた、インド南端からネパールにいたる2,400kmに及ぶ子午線弧に沿った測量事業を完成させた人物である。彼は1818年にインドの測量調査を行っていたラムトンの助手に選ばれ、1823年にラムトンが没すると測量の監督者の地位を継ぎ、1830年から1843年までの間インド測量局の長官を務めた。
彼自身は1843年にイギリスに帰国するが、その後もインド測量局は測量を続け、1852年にヒマラヤ山脈の中で「PeakXV」という仮称をつけられた山が世界最高峰であることを発見した。この時、ネパールとチベットへの進入ができなかったために現地名を採集することができず、測量局長官アンドリュー・スコット・ウォーは、現地名が発見できなかったとして1865年に前任者のサー・ジョージに敬意を表して同山を「イーブレスト山」と名づけることを提案した。
ただし本人は現地名を尊重したいという方針から、そのような命名を快く思っていなかったといわれている。あるいは”イーブレスト(/ˈiːvrɪst/ EAVE-rest)”がヒンディー語で発音できないともいう。そこで”エベレスト”(/ˈɛvərɨst/ EV-er-est)という発音になったとされる。
The Man Who didn’t Want Everest to Bear his Name
Sir George’s surname was pronounced /ˈiːvrɪst/ (“EEV-rest”).[5] The mountain named after him – Mount Everest – is pronounced /ˈɛvərɪst/ (“EVER-ist”) or /ˈɛvrɪst/ (“EV-rist”)[6]
サー・ジョージ・イーブレストは1866年没。現在の日本では、Wikipediaなどにおいてサー・ジョージ・イーブレスト自身が山岳名の発音に引っ張られて「ジョージ・エベレスト」表記されている。
なお現代では現地名を尊重する傾向により、「チョモランマ」(チベット語: ཇོ་མོ་གླང་མ、英語:Chomolungma)と呼ばれることが多い。チョモランマとは、大地の母神・世界の母神を意味する。ネパール語呼びでは「サガルマータ」(ネパール語: सगरमाथा Sagarmāthā)となる。
文献上のチョモランマの初出は、1717年に康熙帝の命令を受けてイエズス会士ジャン・バティスト・レジス(Jean-Baptiste Régis)が『皇與全覧図』と呼ばれる中国地図を作成したときであったとされている。チベット部分、現在のエベレストの位置に山の絵が描かれ「朱母郎馬阿林」(チュムランマアリン)と表記されている。この報告はレジス神父の故国フランスに送られ、それを受け取った同僚のイエズス会士ジャン=バティスト・デュ・アルドが地図製作者のジャン・バティスト・ブルギニョン・ダンヴィル(Jean-Baptiste Bourguignon d’Anville)に託し、ダンヴィルによって1735年、『中国新地図集』(Nouvel Atlas de la Chine)として出版された。ダンヴィルの地図では「チュム・ランクマ」(Tchoumou Lancma)と表記されている。