Sandwich〔英語〕サンドイッチ
- イギリス、アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの英語圏:サーネーム
由来
サンドイッチとは2枚のパンで具を挟んだ食べ物であり、由来として「サンドイッチ(Sandwich)の語源は、18世紀のイギリスの貴族である第4代サンドウィッチ伯爵ジョン・モンタギュー(1729-1792)にちなんで名付けられたという説」がWikipediaなどにも載るように有名である。参考)Montagu
しかし肝心の「Sandwich」の語源は、書かれていることがあまりない。
「Sandwich」という爵位は、モンタギュー家の初代であるエドワード・モンタギュー(1625-1672)がイングランド王チャールズ2世より与えられたものであり、爵位とともにエドワードが与えられたイングランド南東部のケントにある小さな港町サンドウィッチ(Sandwich)に由来する。
地名Sandwichは「アングロサクソン年代記」が初出とされ、内容については信憑性が低いが1692年には初版が出たとされる。しかし内容としては9世紀のアルフレッド大王(849-899)の時代に編纂が行われたと見られている。この中で地名Sandwichは、851年にSondwic 、993年にはSandwicとして登場する。
接尾辞の「-wich」はアングロサクソン語の-wīcに由来し、住居または貿易が行われた要塞化された場所を意味する。つまりSandwichとは「砂地の市場町」を意味する。
Sandwichはストゥール川(River Stour, Kent)の河畔にあるが、その対岸にある古代サクソン人の町ストーナー(Stoner)が栄えていたが後に寂れ、対岸のSandwichへと移ったとされる。
エドワード懺悔王(1042-1066)の時代には、Sandwichが「チンクエ・ポート(Cinque Ports)」のHead Ports5つの内に選ばれている(Hastings、New Romney、Hythe、Dover、Sandwich)。※シンク・ポートとも書く。元は仏語で5つの港の意味だという
その後、13世紀頃には嵐と高潮により港への侵入路が砂で埋まったことや、15世紀にはフランス軍による襲撃があったことも加わり、16世紀には港湾都市としての地位は失われた。
のちエドワード・モンタギュー(Sir Edward Montagu, 1st Earl of Sandwich ※父方のいとこで同名の第2代マンチェスター伯爵ではない)は、当所は陸軍の歩兵士官として円頂党(議会派)に属したことから、第一次英蘭戦争では海軍の新設称号であるジェネラル・アット・シー (General at Sea)としてイングランド共和国艦隊を指揮した。
1660年の王政復古の際は地方に隠遁していたが、先任のジェネラル・アット・シーであったスコットランド駐留軍司令官のジョージ・マンクに従って王党派に転じ、艦隊を率いてチャールズ2世を出迎えた。チャールズ2世が即位すると宮内長官に任じられ、1660年7月12日にイングランド貴族爵位「サンドウィッチ伯爵 (Earl of Sandwich) 」、「ヒンチンブルック子爵 (Viscount Hinchingbrooke) 」、「ハンティンドン州におけるセント・ニーアッツのモンタギュー男爵 (Baron Montagu, of St Neots in the County of Huntingdon) 」に叙せられた。
この時、伯爵の爵位と共にケント州サンドイッチの地を与えらている。
※モンタギュー家は、別にヒンチンブルック・ハウス(ロンドン北にあるケンブリッジシャーにある城)も領していた。これは元々ベネディクト会派修道院「ヒンチンブルック・プリオリー(Hinchinbrook Priory)」として建てられたもので、ヘンリー8世(1491-1547)の時代に小修道院解散法(1536)及び大修道院解散法(1539)により修道院が解散され、王室所有となった。その後にヘンリー8世の側近であったリチャード・クロムウェルが19ポンド9シリング2ペンスで入手し邸宅として改築した。のち1600年代初頭にはクロムウェル家と婚姻関係にある初代マンチェスター伯爵ヘンリー・モンタギューがヒンチンブルック・ハウス(Hinchinbrook House)を入手した。